中小企業で生きていくシステムエンジニアが考えるライフハック・ITツール・投資、人生100年を生き抜く人生戦略、生産性向上をノリックが考える

中小企業で働くシステムエンジニアがライフハック、ツール、投資、人生100年を生き抜く人生戦略、生産性向上を語ります

沖縄で死ぬか東京で死ぬか

 私はもとは東京で生活していたのだが、30代なかばで沖縄に転勤になった。所属していた部署の業績が思わしくなく、その中で私が選ばれて転勤したので自分は必要とされていないのか、なんてことを思いながら任地に移った。沖縄での仕事は都会で受託したシステムを地方で開発するという下請け仕事だった。東京では下請け会社の人に仕事をお願いする立場だったのだが、自分が下請けの立場になりその大変さを経験することが出来た。

 

 沖縄に転勤して嬉しかったのは、沖縄の人々は非常に優しく、周りに知っている人が一人もいない私でも仲間に恵まれ楽しい日々を送れたことである。2年ぐらい過ぎた頃から仕事にやりがいはあまり感じなかったけど、沖縄でずっと生きていくのもいいなと思い始めていた。それに行きつけのお店でたまに会う人で素敵な人がいた。会社以外の友人もでき、東京の友人も私が沖縄にいるおかげで、以前よりも頻繁に連絡をとってきて遊びに来てくれる。海釣りを本格的にやっていたので免許をとり船を購入。松本号と我ながらベタな名前をつけて沖縄生活を満喫していたのである。

 

 そして会社の廊下を歩いていると私が東京勤務のときに担当役員だった人にあった。私が勤めている沖縄にある子会社の役員を兼任することになったということで視察にきたそうだ。そして東京の前の部署が仕事が忙しくなってきて人が足りないそうだ。もしよかったら戻ってこないかと誘われた。

 

 沖縄の仕事もなかなかハードだったのだが、東京にいたときに比べればましだ。朝3時に起きて釣りに行ってから仕事をするという自分の生活態度が問題なだけである。しかし、部署が不調なときは私は転勤させられたわけで、忙しくなったからと言ってはいそうですかと言って戻るほど素直ではない。変にプライドの高いところが自分の悪いところだというのもわかっている。すこし考えさせていただきますと答えたら役員の人はいつでもいいからいい返事をまっていると言って去っていった。

 

 東京での仕事は毎年1200時間以上は残業をしてハードだったのだが、やりがいはあった。沖縄での生活は仕事にやりがいはそこまで感じれないものの、年齢層が若いため、自分の年でも長老格で自分がプロジェクトの先頭に立ってやっているという意味でのやりがいはあった。しかし、仕事において目標となるような人が沖縄にはいない。東京には自分も将来あんな人になってみたいと思わせる仕事のできる人が何人もいた。そういう人たちに囲まれて仕事をするほうが自分にはあっているか?それともプライベートも充実した沖縄で生活していくほうが人生としては楽しいのではないか。その狭間で一ヶ月ほど悩んだのである。

 

 行きつけのお店で飲みながらそんなことを考えていたら例の素敵な人にあった。そうだ。自分はこの人となら結婚してもいいと思っていた。いや、まだ付き合ってもいないのだが。沖縄の人は沖縄から出るのを嫌がる人が多いから、もしもこの人が私と結婚してくれて、そして沖縄で生活をしたいといえば私の悩みは自ずと消え沖縄で生きて死を迎えることになんの躊躇もなかったのである。だからその人にことの顛末をはなしてみた。東京への転勤話があること。でも沖縄での生活も楽しいこと。特に君と会ったときは楽しいのでもし付き合ってくれるなら沖縄で生きていこうと思っていること。

 

(素敵な人)

  え!

 

(私)

    は?

 

 足早に店をあとにする彼女。恥ずかしかったのか?少し驚かせてしまったか?しかしそれから1ヶ月、もうその店に彼女が来ることは無くなっていた。東京で働かせていただきますと私は役員に連絡し、今後は東京でバリバリ働いていこうと決断したのである。

 

そしてそれから5年たち岡山で生きている私がいた。どうしてこうなった?